沖縄伝統民家行脚
 

  糸満海人(うみんちゅ)工房資料館

糸満海のふるさと公園の南端に、NPO法人ハマスキーが運営する「糸満海人(うみんちゅ)工房資料館」がある。ここは沖縄県が世界に誇る糸満漁業の伝統文化を次世代に継承する事を目的とした資料館である
  糸満海人(うみんちゅう)の伝統民家

糸満海のふるさと公園に、糸満海人(うみんちゅう)の民家が再現されている。
 
  沖縄県立博物館・美術館の伝統民家

博物館の中庭には、屋外展示として琉球の伝統的な高倉、民家が再現されている。この民家は、沖縄本島南部に今も残る伝統的な民家を参考に再現したものである。
 
   識名園
識名園は、琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに利用された。1799年につくられたが1945年沖縄戦で破壊された。1975〜96年に復元整備され、2000年ユネスコ世界遺産に登録された。
 
     
  新垣家住宅(陶工の家)
新垣家住宅は、那覇市壺屋に所在する陶工の住宅で、1974(昭和49)年まで陶業を営んでいた。約400坪の屋敷内には、赤瓦を連ねた主屋、作業場、離れ、登窯(のぼりがま)や石造の「フール」(豚小屋兼便所)、石垣などが残っている。中心となる主屋は明治中期までに建築されたと考えられる。 
  首里金城町石畳道
首里金城町石畳道は、首里城から国場川の真玉橋に至る長さ4km総延長10kmの官道であった真珠道(まだまみち)の一部で、琉球王国尚真王の治世である1522年にその建造が始まった。沖縄戦で真珠道の大半は破壊されたが、金城町に現存する238mの区間がその姿を現在に伝えている。
  真玉橋遺構
首里金城石畳道は南に下って、国場川を渡るのが真玉橋(まだんばし)である。真玉橋が石造橋となったのは第11代尚貞王の1708年のことで、1945年の沖縄戦で破壊された。1996年真玉橋橋梁整備の工事現場で実施された遺構の発掘調査中に石橋のアーチや橋床の一部が出土した。
 
   新垣家住宅「しむじょう」
那覇市首里の高台にある沖縄そばの名店「しむじょう」、150年ほど前に建てられ、そのままの形で1952年(昭和27年)に建て直された赤瓦の主屋。昔ながらの石垣やヒンプン、フールが残っており、国の登録有形文化財に指定されている。
 
 
 
 
 

Last modified:Feb.04 14:00:00JST 2024
(c) Dr.Shigeaki Iwashita