糸満海人(うみんちゅう)伝統民家
糸満海のふるさと公園に、糸満海人(うみんちゅう)の民家が再現されている。全くの新築であるが、伝統民家が細かく再現されている。
屋根は沖縄赤瓦で葺かれている。伝統的な沖縄赤瓦は、本葺瓦の系統に属する瓦で、平瓦に相当する女瓦と、丸瓦に相当する男瓦とからなる。瓦を葺く際には、まず女瓦を並べて、その左右の継ぎ目を覆うように男瓦を被せ、台風などの強風にも耐えるように瓦どうしの隙間を漆喰で塗り固める。このため、赤瓦を用いた屋根は、瓦の赤と漆喰の白とのコントラストが際だつ外観となる。
 シーサーは、ライオン=獅子(しし)といわれており、全力で相手をたおすといわれるライオンのように、屋根の上から魔物を追い払っている。シーサーは13〜14世紀、中国から沖縄に伝わったといわれている。昔は国王や国のえらい人たちなどの、シンボルとしても使われた。口を閉じているのがメス、口を開けているのがオスだといわれている。
シーサの両側に黒く見える穴は、空気抜(くうきみー)と呼ばれ、屋根裏に溜まった熱やカマドの煙を外に逃す役割を果たしている。
軒は低くせり出し、夏の暑い日差しが部屋の奥に入らないよう工夫されている。軒下の空間を沖縄では雨端(あまはじ)と言い、外部と内部をつなぐ開放的な軒下空間を構成している。伝統的な琉球民家では玄関がなく。この軒下の雨端(あまはじ)から、直接それぞれの部屋に入るようになっている。
雨端柱(あまはじばしら)は、沖縄県地方の民家に見られる軒に差し出した庇(雨端)を支える柱。一般的に外部の柱は自然に近い形の木を使っている。その土台はキクメイシと呼ばれるサンゴで半球状のものの頭を削って使用されることが多かった。
若い衆の宿泊する小屋
若い衆は、「雇子(ヤトイングァ)」と呼ばれ、ほとんどが「糸満売り」された少年たちである。10歳前後の貧困層の少年が、前借金と引き換えに沖縄本島南部・糸満の漁師のもとで年季奉公することを「糸満売り」と称した。特に沖縄本島の北部(山原)や離島には極貧層が多く、数多くの少年が糸満売りに出された。兄弟全員が売りに出されたり、家族を救うために本人が志願して売りに出された例もある。彼らは「雇子(ヤトイングァ)」と呼ばれ、雇用主の下で住み込みで働き、糸満漁業の技術を叩き込まれた。
豚便所フール
建物の北西には、豚の飼育小屋を兼ねた便所がある。フーリャ,ウヮー(豚)フールとも呼ばれていた。沖縄の民家の特徴の一つであったフールも戦後はみられなくなった。中国から伝来されたものといわれています。構造は石組みで区画がなされ,屋根は石造アーチ形,茅葺・瓦葺きなどで作られ,床は石敷であった。
はたして人間の大便が豚の餌になるのか。人間の食べ物に対しての消化吸収率は他の動物に比べて大変に悪く,大便中の未消化率が50%とも言われている。そのため,人間にとってはもはや排泄物であっても,他の動物にとっては食べ物としての価値があるという。しかし沖縄県は,明治30年代には各機関を通じ衛生上の指導を繰り返していたようであるが,長年の歴史と風土に根ざしたフールのシステムは容易には改善されなかったようである。
屋根の掛けられたフール
網元の家の内部
沖縄では、台所はトゥングァといわれている。かまどは、鍋(なべ)などをおき、下から火をたいて煮たきする。網元の家なので若い衆の食事もここで用意するので、かまどの数も多い。一番右側の大きな鍋(なべ)は、方言でシンメーナービ(四枚鍋)とよばれるもので、主食となるサツマイモの一日分を、一度に煮る時などに使われた。メーは鍋(なべ)の大きさを表す言葉で、シンメー(四枚)は、約28リットルの水が入れられる大きさ。
 
台所の天井は張られず、屋根の下地が見える。沖縄赤瓦の下地は土葺きで、竹編みの下地が見える。竹編みの野地の上に土を載せ、その上に雌瓦を並べる。次にその雌瓦の隙間に土を載せ、雄瓦を被せ、その雄瓦をしっくいで固めている。
三番座は、雨端(あまはじ)から見て一番左側で、台所の隣にある。現在でいうところの居間食堂(リビングダイニング)にあたる部屋で、網元の家ではここで若い衆も一緒に食事をした。
 二番座は、その隣の部屋で、トートーメー(仏壇)のある仏間である。
 
一番座は、雨端(あまはじ)から見て右端にあたる部屋で、客間として使用された。
台風の際に風圧で建具が折れるのを防ぐための、補強桟を落としこむための受け材がすべての外周建具に設けられている。
裏座は、各座の裏側のスペース。寝室や収納部屋として利用されることが多かった。


Last modified: Jan. 05 16:00:00JST 2024
(c) Dr.Shigeaki Iwashita